佃住吉講の有する宮元大神輿は、そのあまりの重さから、別名「千貫神輿」とも呼ばれております。
そもそも、この千貫神輿は、昭和の終戦後に千葉の寒川神社の宮神輿として新調されたものです。寒川神社の祭礼である「御浜下り」は、大治二年(1127
年)より連綿と続く千葉神社の妙見様の祭礼として神輿を海中に渡御させていたものでしたが、この宮神輿の新調をきっかけに、寒川神社の例祭として行われるよう
になったと言われております。
しかし、この神輿、寒川神社が台寸で注文したものを胴寸と取り違えて製作したと言われるほどの
大神輿で、「初渡御のときに、二百人の怪我人を出した」とか
「寒川旧道で転回ができずに、民家の戸袋や塀を壊してやっと廻った」など様々なエピソードが残り、「お化け神輿」ともいわれていたそうです。この「お化け
神輿」があまりの大きさと重量のために渡御が困難になり、その後、人形町末廣神社の宮神輿となりましたが、末廣神社でもその大きさから保管場所に困り果
て、昭和34年、佃住吉講が譲り受け、現在に至ります。
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